町田まわるまわる図鑑 〜パリコレッ!ギャラリー・アーティストインタビュー~ <フリーライター:宇野津暢子さん>

開催:2020年9月16日(水)

フリーペーパーの展示:宇野津暢子さん

町田で月イチでアートが楽しめる「パリコレッ!ギャラリー」第四弾のアーティストは、
町田市・玉川学園地域の魅力を発信するフリーペーパー「玉川つばめ通信」を発行する編集者・宇野津暢子さん。

2020年12月23日(水)より、『恋するようにフリペを作る、ひっそりと町メディア「玉川つばめ通信」大展示会』がスタートします。
展示会開催にあたり、宇野津さんにお話を伺いました。

■フリーライターというお仕事ですが、書くことを職業にしようと思ったのはいつ頃ですか?
私が高校生の時『OLIVE』というマガジンハウスの雑誌が流行っていて、その雑誌のデザインがいいなと思っていました。当時は森永ハイソフトキャラメルのおまけの写真カードも集めていて、カードの裏側には一行ポエムがついていて、その写真とキャプションがセットというありようにも、ものすごくキュンとしてました。それを真似して授業中に一行ポエムみたいなのを作ったり、作文も好きだったので新聞社とか美術館とか企業がやってる懸賞みたいなものに投稿してお金をもらったり。実家が薬局で、「薬剤師になれ」的な理系圧力もあったんですが、そもそも数学が好きじゃなかったので大学は文系に進みました。就職活動の時期になったら、目指すは出版社一択だなと思っていました。本当はかための文芸系の出版社に入りたかったんですが、入れたのはやわらかいテレビ系の出版社。『OLIVE』みたいな少しとがった雑誌を作りたいって思っていましたが、ずいぶん軽い会社に入っちゃったなーなんて思っていました。当時の私は安定した大きな会社より、センスがいいほうが偉いと思っていたので、出版社に入れたのはありがたいことだけれどここでよかったのかな?という相反する思いを抱えて扶桑社に入りました。
 
   
■社会人デビュー当時の思い出は?
学生時代は男女別学だったので、男の子ってみんな小沢健二みたいにかっこいいものだと思っていたんですが、就職して初めて男子もいる世界に入ったら、全然違う(笑)。編集部にすぐに配属されることもなく、仕事は甘くないんだなって思いました。じつは「町田とはおさらばっ!」と、就職後は麻布十番でひとり暮らしを始めたんですが、私が借りられたのは六畳半の古いマンション。そうやってちょっとずつ現実を知り、自分で稼ぐ喜びも知り、24歳の時に主婦向けの生活情報雑誌『ESSE』に配属になりました。初めは誰も読んでいないような、雑誌の巻末のインフォメーションコーナー担当で、それでも自分が書いたものが雑誌になって本屋さんに積まれたのを見た時はすごく嬉しかったですね。当時は全決定権のある編集長になるという野望を抱いていたのですが、他誌に異動になったり、結婚して子どもができたり、いろいろなタイミングが重なって30歳の時にフリーライターになることにしました。フリーライターになってからは、雑誌・天然生活(※)に売り込みに行ったりしました。当時お付き合いのあった編集者とのつながりのおかげで今でも様々な仕事ができています。
※天然生活・・・“シンプルな暮らしは、気持ちに自由と平穏を与えてくれる”をテーマに、手仕事のある生活スタイルや、暮らしを育むことを提案する生活情報雑誌。

   
     
■今までのお仕事が生活情報系だったり、「玉川つばめ通信」も地域発信の内容ですが、“人の暮らし”をテーマにしていますか?
特に意識したことはなかったですが、確かに大学は社会学科でしたし、世の中の人の動きとか心の変化とかそういうところにすごく興味がありますね。仕事ではごく普通に暮らしてらっしゃる女性の家にインタビューに行くことが多いんですけど、記事にもならないような、とるにたらないような日常の中でみんないろんな想いや悩みを抱えながら生活している。そういう小さな心の動きみたいなものを見逃さないようにしたいと思いながらずっと取材をしています。生活情報というジャンルで、有名・無名に関わらずいろんな人の話を聞いて、それを言葉にするという作業をずっとしていますね。

■「玉川つばめ通信」は地域情報を発信するフリーペーパーですが、そもそもフリーペーパーに興味を持ったのはなぜですか?また、名前につばめと入れた理由は?
もともと私は編集者ですし、なにか面白いものを見つけたら人に言いたいという欲求が強いんですね。で、ちょうど友人がフリーペーパーを紹介する本を作って、フリペっていいなと思ったのがひとつのきっかけとしてあります。私もいつか街をなにかの形で紹介できたら面白いな~とぼんやりと思ったのが2008年頃です。
私が住む小田急線の玉川学園前駅では、毎年初夏につばめがやってきていつも北口の階段の踊り場あたりに巣作りをするんです。フンが落ちるとか嫌がる風潮もある中で、玉川学園の駅員さんは台を作ってあげて、行き交う人もつばめの成長を気にかけている。みんなが温かく見守っているその様子が鷹揚でいいなと思い、“つばめ”が何となく玉川学園の象徴に思えて、名前をつけるなら「玉川つばめ通信」と先に決めていました。

■実際には7年後に創刊していますが、なにかきっかけがあったのですか?
ぼんやりとした想いが“作りたい”の明確な意思になったのは、2015年に「玉川学園の商店街ガイドブック」を作ったときです。子どもの小学校でPTA会長をやっていたのですが、そこで知り合った印刷屋さんから一冊の冊子を作ってほしいという依頼を受けました。商店街のお店一軒一軒にアポイントをとって取材し、約3ケ月で完成させ発行しました。この本のおかげで段々と知り合いが増えてゆき、街と仲よくなっていったというか、馴染んでいったように思います。
取材をするうちに商店街以外のお店も紹介したいと思うようになり、ガイドブック完成の3ヶ月後には「玉川つばめ通信」の発行に取り掛かかっていました。創刊号は強い欲求に突き動かされて、発案から創刊まで1週間くらいで作りましたね。当初はすごい熱意があって、月刊にしよう!と思ったんですが、毎月作るのはすごく大変で(笑)。また、創刊時はいくらお金がかかるかわからず、一枚10円のフリーペーパーを「こんなの作ったんですが置いてみてもらえませんか」ってお願いしたら、8件のお店が買ってくれ、号を重ねるごとに置いてくれるお店が増えて、現在は町田市内を中心に42件の方々が置いてくれています。

■今回、展示会のイベントで対談をする柿内 尚文(たかふみ)さんとのご縁は「玉川つばめ通信」だったとか?!
柿内さんは、『「玉川つばめ通信」を買いたい』とメールをくれた知らない人第1号だったんです。何者かわからないし、「だれなんだろう」と思ったんですが、近所で知らない人と待ち合わせするのが新鮮だったことを覚えています。後で知ったのですが、出版業界で“柿内兄弟”と言われている有名な兄弟のお兄さんのほうで、これまで手がけた本やムックの累計部数は1000万部超! でも会った時にはそんなことは言わないし、『応援したいから毎月100部買わせてください』と言われ、なんてありがたい人なんだろうと思いました。受け渡し時にちょっとずつ街の話をするようになって、なんのしがらみもないなかで地域のいいところや悪口をとりとめもなく話しています。町田について話すなら柿内さんって感じですね。
   
     
■ 「玉川つばめ通信」の創刊は思い立ってからかなりのスピード感ですが、内容はどのように決めたのですか?
もともと商店街ガイドブックを作成していた頃の、地域についてメモしたノートがあったので、「玉川つばめ通信」の基本は既に手元にありました。ノートには足で取材しないと分からない情報や商店街の仕組みなどが書き込んであります。例えば、玉川学園の町にはロートアイアンの看板があちこちにあるのですが、これを作ったのは今の「玉川珈琲倶楽部」の場所にあった、元ワタナベ写真店の息子さんだとか……取材していくうちに、親戚内のいろんな関係がわかってゆくみたいな面白さがありました。今まではメインはマスコミの仕事でしたが、「玉川つばめ通信」は生活とともにあるミニコミ(※)の仕事だと感じました。普段の仕事では、出版社からの依頼に沿って取材したり書いたりすることがおもなので、「玉川つばめ通信」は自己責任編集&執筆みたいな形で、私の好きなことを発信できる場として自由にやっています。
※ミニコミ・・・ある限られた範囲を対象として行われる情報の伝達をすること。「マスコミ」の対語として作られた語。
   
     

■「玉川つばめ通信」はレトロな雰囲気でイラストもとっても可愛いですが、このあたりはどのように決めたのですか?
イラストは金子伸子さんが、デザインは葉田いづみさんが担当してくださっています。どちらもいつか何かをやるときはこの人にお願いしようと思っていたふたりです。葉田さんはお仕事でご一緒したことがありましたし、金子さんは子どもの幼稚園が一緒で、昔イラストレーターだったらしいと人づてに聞いて、商店街ガイドマップを作るときに思い切ってお声掛けして以来です。金子さんからイラストを受け取るときにはいまだに手渡しだったり、たまにご主人が通勤途中にうちのポストに入れてくれたりするんです。今イラストの手渡しってまずないので、そういうアナログなところがいいな~と思っています。あとは金子さんのお嬢さんにも一時期イラストを描いてもらっていたことがあって、彼女は当時小学生だったのですが子どもの絵ってつねに変化していてすごいなって思いました。
デザインは創刊時からずいぶんかえていて、「この色は読みにくい」とか「もっと大きい文字がいい」とか、貴重なご意見いただきつつ、シニア世代に合わせて調節しています。あとは私自身年齢が上がり、可愛い感じよりも、もうちょっと線の細い大人っぽい感じにしたいなーとか、気持ちの変化が紙面に反映されていますね。ただ内容に関しては、ネットではあがってこない、ここでしか知りえない情報を書こうという気持ちは変わっていません。
   
     

■取材を重ねて意外だったことって何ですか?
お店って永遠にないんだなっていうことでしょうか。取材したお店の1/5くらいがもう無かったりして、無くなるわけないと思っているお店も無くなるんだなって。飲食店を続けるって大変だって思いますね。なるべく定番のお店を取材しているんですが、そうはいってもそもそも定番なんてなくて、商店街は生き物なんだなって思いますね。出来たり無くなったり。
   
     
■ 5年間取材をし続けて、町田のことどう思いますか?
「やっと好きになった街」ですね。死ぬまで町田でいいと思ったのはここ最近の話。町田は飽きない白いご飯みたいな感じで、最後の食事も白いご飯がいいな、みたいな。
町田は人と人の距離感がちょうどいいし、ロマンスカーもあるからアクセスもいいトカイナカ(※)。実は町田が一番いいんじゃん!って気づいて。最近仕事でよく東急線沿線の街に通っているのですが、みんな大企業の社宅に住んでいる人達のようで、画一的に感じるんですよね。かといって京王線は町田よりもっと田舎だなあって思ったり(笑)。私の中で町田は自由も認められつつ、すごい都会感はないけれど、ここがベストって思っています。
※トカイナカ・・・都会の便利さと、田舎の良さを合わせもったエリアを指す造語。
   
     
■ ご自身を飽きっぽいといいつつ、5年も続けてきたモチベーションはどこにありますか?
じつは最近もずっとめんどくさいなーと思って発行が遅れていたのですが、この間本町田のスーパー三徳に買い物に行ったら、ときどき見かけるレジの方が『読んでいますよ』と声をかけてくれて。三徳はずっと通っているスーパーなんですが、そんなふうに声をかけられたのが初めてで、改めてどこに読んでくれている人がいるかわからないから、やっぱりしっかり作らなくちゃ!って、あらためて思いました。ありがたくって、街の人みんなを大事にしたいという気持ちになりました。だから嘘は書けないなと思うし、私なりの“役に立つ情報”を一個でも届けられたらと思っています。「玉川つばめ通信」は知らない人に向けて作っているというより、気のおけない親戚にむけて作っている気持ちです。毎回3000部発行しているんですが、10人の知り合いに渡しているくらいのつもりで、あの人今なにしているかな~って考えながら、なんとなくそれぞれにプレゼントするみたいな気持ちで作っています。
   
     

■それでは、3つのプレゼントをください!

1個目「小田急チケット10」
2020年の4月から小田急線で始まった回数券に替わるチケットなんですが、固定区間がお得に乗車できる乗車券です。例えば町田から新宿まで360円かかるところ、ホリデーチケットなら280円で行けるので、コロナで定期を解約した人は是非これを買ってください! お得です!!

2個目「Facebook公開グループ・玉川学園お店探偵団」
実はうちの夫が立ち上げたんですが、引っ込み思案な夫がコレを介していきなり大勢とひんぱんにやり取りして盛り上がっていて。今は400名近くが登録していて、飲食店の情報はじめ、いろんな情報が網羅されています。「これがあれば十分じゃん。つばめ通信は中身がうすくてダメじゃん。」と「玉川つばめ通信」を作るモチベーションが下がっちゃうくらいです。SNSってやっぱりすごいですよね。

3個目「おかはん」
玉川学園にある中華屋さんなのですが、「おかはん」がなかったら私、ここに住んでないかもってくらい頼りにしています。「おかはん」がないと私の暮らしが回りません。作っている時間がない。買い物に行く時間もない。だけど、家族にカップ麺を食べさせるのも忍びないというときは、「おかはん」!
   
     
■ 今後の「玉川つばめ通信」でやっていきたいことはありますか?
以前は「玉川つばめ通信」から派生して「スナックつばめ(※)」みたいなことをいろいろやりたいと思っていましたが、コロナになって気持ちがリセットされちゃった感があるというか。やっぱり「玉川つばめ通信」を楽しみにしていてくれる人がいるんだというのを知るにつけ、この通信こそちょっとずつでも長く続けていきたいなーと思います。あまり縛られずに!
私もだんだん歳をとっていくわけで、年齢を重ねるからこそわかる事や新しい景色があると思うので、それこそ常に街に恋しているようにドキドキしながら作りたい。格好つけたおしゃれっぽさよりは地に足についた味のあるもので、私のセンサーが反応したものを取り上げていきたいですね。
※スナックつばめ・・・玉川学園前駅の文房具屋さんなどの軒先でゲリラ的に開店されるちょっとした軽食スタンド。「玉川つばめ通信」の編集長・宇野津氏が提供する地域のたまり場のようなもの。
   
     
■ 改めて、宇野津さんにとって“紙”の魅力ってなんですか?
原点はやっぱり森永ハイソフトキャラメルの中に入っていたカードですね。写真にちょっと文字というバランス、かつ新聞みたいに大きすぎない。当時はカードほしさにキャラメルを食べまくっていて、カードが集まってどんどん分厚くなるんです。その束は10代の私の分身のようなところがあって、集めるのが楽しいし、持っていると安心しました。紙はさわれるし、においがかげるし、インクの色もつくし、折り曲げて形も変えられるし、五感で感じるみたいなところが魅力です。
「玉川つばめ通信」も、なにか実体のあるものを人に渡したかったんですよね。「よかったら読んでください」って渡して、「ありがとう」って言われる。そういう小さなサプライズみたいなのを街のいろんなところに仕掛けられる喜びがあります。
   
     
■最後に来場者の方にメッセージをお願いします。
年末の忙しい時期にきてくださるんですよね。ちょうどXmasだし、その頃にくるってどういうことなんですかね・・・よっぽど暇な人か・・・うーん誰も来ないんじゃないかな(笑)。来てくださったら……もう感謝の気持ちしかないです。それから来てくれた人と普通にお話ししたいですね。あとは、“タマビエ”のお札を差しあげたいです。タマビエは、玉川学園に住むイラストレーターの本田亮さんに描いてもらったアマビエの玉川学園バージョン。ささやかですけど、ちょっとでもコロナ封じになればと。玄関先や店先にお札のように貼ったりしてもらえればさいわいです。
   
     

宇野津 暢子(フリーライター) プロフィール

1973年に三軒茶屋で生まれ、3歳で玉川学園、6歳で本町田へ。都会に憧れて港区の出版社に就職し、8年ほど23区暮らしをするも、第2子出産のタイミングで本町田に戻る。戻ってみると「町田っていいじゃん」と思うことが多く(緑が多い、山が近い、都心もそんなに遠くない、いろんな人がいる)玉川学園に興味を持つ。夫と中高の息子2人と実母とメダカ2匹と暮らす。好きな食べ物はヨックモックのシガール。

パリコレッ!ギャラリー vol.4
恋するようにフリペを作る
ひっそりと町メディア『玉川つばめ通信』

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アーティストの月イチアート展シリーズ第四弾!

地域の魅力を発信するフリーペーパー『玉川つばめ通信』の創刊号から最新号に至るまでをずらりと並べたフリーペーパーの“大”展示会を開催します。
つばめ通信のユニークな活動や取材ノートなどなど…まるっとつばめ通信の空間をお楽しみください。

日付:2020年12月23日(水)〜27日(日)
時間:10:30〜16:30(最終入場16:00)
*26日(土)は14:30CLOSE
会場:3F ギャラリー・パリオ
入場無料

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