町田まわるまわる図鑑 〜パリコレッ!ギャラリー・アーティストインタビュー〜 <アーティスト:大石正巳>

開催:2022年5月24日(火)

町田で月イチでアートが楽しめる「パリコレッ!ギャラリー」。
第21弾は町田市にてアトリエラ・セーヌ38絵画教室を構える84歳の画家:大石正巳さんです。

今回は「感じるままに」をテーマに100号以上の巨大絵画が並ぶ大迫力の抽象絵画展を開催いたします。

大石さんに、体育教師時代、フランス留学〜現在の画風になるきっかけ
アトリエ ラ・セーヌ38絵画教室を設けられた現在までのご経歴や
ご自身の作品、絵を描くことに対する想いについて様々なお話を伺いました。

●今回の展示のテーマ「感じるままに」についての思いを聞かせて下さい。
私は抽象画を始める前、具象画を描いていたんですよね。物を見て表して、その中に自分の表現したい構成や色を入れて、物がしっかり描けているか、いないか、技術的なことが問われることをずっとやってきた。だけどいつからかそれが変わってきて、私は美術教育は受けていなくて、ただ好きでずっと描いていたから、技術では太刀打ちできない。自分が好きに描けるんだったら形にこだわらなくていいんじゃないかと。今は「あれを描きたい」っていう具体的なものはなくて、いつもキャンバスや画布の前に立って、「さあ何をやろうか」と考えて描き始める。そして私の作品を見て「春の色を感じる」とか、何かそういった物を人が感じてくれたら、こんなに嬉しいことはないなと思っています。

●大石さんの作品はパワフルな印象を受けるのですが、そのインスピレーションはどこから湧いてくるのですか?
さて、考えたこともないなあ。最初の一筆から始まって、描きながら感じたものを描いているね。私は描いて潰しての繰り返しで、最初から設計通りに描くやり方じゃないから、何ができるかはさっぱりわからない。だから、インスピレーションは描きながら湧いてくるんだと思います。

●巨大絵画に挑戦しようと思ったきっかけはありますか?
それは、パリオだからだよ。パリオは会場が広いし、せっかくの企画展だから大きな作品をバーンと描こうかなと思って制作をスタートした。パワーを作品に表せられたらいいなと思っています。

●大石さんにとって絵を描く事とはどんな事でしょうか?
絵は1番自分が入っていけるから楽しい。制作中は悔しい事ばかりなんだけど、それに向かえば何か出てくるかもしれないっていう微かな望みみたいな物があって、それに出会えた時は無性に嬉しくなる。いつも、いいなという所まで描いて、次の日にアトリエに入るでしょ?ドアを開けて真っ先に見て、いいなと思った時は大体合格。だけど大抵はやっぱりダメ。そしていじり出すっていうその連続です。
でも最終的にはどんなことがあっても「必ず俺は仕上げることができるから大丈夫」って自分に言い聞かせてやってますね。

●絵を描き始めたきっかけを教えて下さい。
私は体育の先生をやっていたんだけど、美術の先生に油絵具を揃えてもらって絵を描き始めたんだよね。一年通した四季の風景に非常に感動して、ずっと具象を描いていたのね。
40歳あたりからは、教員をやりながら空いてる時間に絵を描いて、体育倉庫の壁に画布を貼って空間を作って、俺のアトリエにしちゃってた。

●元々絵を鑑賞することはお好きだったんですか?
中央区の都立高校にお世話になってた時に、帰りは都電に乗って銀座に来て、画廊を軒並み見て新橋まで歩いてた。新橋から電車に乗って帰宅するんだけど、画廊には入り浸りで、梅原龍三郎(※)とか、小磯良平(※)だとかいわゆる日本の重鎮の絵が多くて、勉強になったし、そこで知らず知らずに影響を受けたと思う。

※梅原龍三郎…日本の洋画家。ヨーロッパで学んだ油彩画に、日本の伝統的な美術を取り入れた世界を展開。
昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。
※小磯良平…日本の昭和期に活躍した洋画家。女性像を代表として、人物画、肖像画を多く手がけたことで知られる。

●好きな作家、影響を受けた作家がいれば教えて下さい。
1番影響を受けたのは、公民館講座で油絵を習っていた時に手ほどきをしてくれた坂本幹男先生。その頃、先生の影響で山口薫の画集も購入して、いいな、ポエジーがあるなと思った。外国の作家だとパブロ・ピカソやニコラ・ド・スタール(※)、ピエール・ボナール(※)も好き。あと、木村忠太(※)っていうフランスで活躍した洋画家がいるんだけど、俺はその人の絵にかぶれた方だから似ているかもしれない。

※ニコラ・ド・スタール…20世紀のロシア生まれの抽象画家。
※ピエール・ボナール…19世紀〜20世紀のフランスの画家・日本美術の影響を色濃く受けた。
※木村忠太…フランスで活躍した日本人の洋画家。現実の風景をモチーフに、南仏やパリなどの風景を抽象化した作品を制作。

●抽象画を描き始めたきっかけはなんですか?
教員を退職した後、日本を離れ、フランスに5年間留学したんだけど、その中で、抽象画の作品に触れることが非常に多くなって、「あ、俺はこっちの方がいいな」って。それで抽象的な傾向の方に入っていったのかな。

●なぜフランスに留学しようと思ったのですか?
教職につきながら絵を描いていて、その内に、生活の中でどんどん絵を描く時間の密度が濃くなっていった。それで、「定年で退職したら、俺はフランスの田舎に行って絵を描くから承知しといてくれ」って奥さんには言っていて、61歳の時にフランスに住むのが実現したんだよ。フランスでは日本では想像できないくらいの刺激があるわけよ。スケッチブックを抱えて、朝から暗くなって周りが見えなくなるまで外で描いて、絵を描かない日はないくらい。そういう夢中になれるものを見つけられた自分はラッキーだと思う。
それから、フランスに住んで4、5年あたり、65歳くらいの時かな。俺はこれからどうするんだろうな?と考えた。このまま居着くには資本がいるし、金銭はなんとかなるにしても、医者に自分の体の事を伝えるのも言葉の壁がある。もう少しいるか、見切りをつけるのか随分考えて、最後はやっぱり日本で暮らそうと思って帰国した。

●絵画教室アトリエ ラ・セーヌを立ち上げたきっかけをお伺いできますか?
絵に没頭するには、家以外の場所が必要だと思って、パリから帰って、アトリエを探した。町田をアトリエに選んだのは、俺は忠生高校で20年間教員をやっててね。町田だったら馴染みがあるし、知人もいるし、教え子の親父とか「応援するよ」って言ってくれる人がいたりして、じゃあ町田にしようってことで今のこの場所を借りた。それで、ここを借りるには月十何万はかかる。じゃあどうする?ということで自分が半分稼いで、あとはみんなから月謝を頂く形で人を集めて絵画教室を開いた。あの時はショッパーで広告を出して、出した日の初日に1人やりたいって人が来て、それからどどっと来て、多いときは45人くらいになりました。

●大石さんがアトリエ ラ・セーヌの生徒さんや、絵を描く人に大切にしてほしいことは何かありますか?
もっと真面目にやれって言いたい(笑)絵は絶対裏切らないから。だから、お稽古だけじゃなくてもっと大切なものとして、自分の生活の中に絵を描くことをしっかり入れて生活してもらいたいと思う。体現的に80歳過ぎてからかな、自分の絵が自由に描けるようになるのは。80歳になると色も良いし、なんか吹っ切れるというか、70歳くらいまでは上手く見せたい気持ちが強いのかな?素直に好きなことを描いてるのがすごくいいんだよ。教員をやってた時に、生徒に言ってたのは、「仕事の他にもう一つの世界を作れよ」っていう言葉。これはアルベルト・シュヴァイツァー(※)の言葉で、シュヴァイツァーは医者と同時にオルガニストで、それがとっても俺には身に染みてありがたい言葉だった。それを日々感じながら教員をやっていて、絵が上手くいけば、他の辛い事は全然平気でなんでも来いという気持ちになれた。それくらいエネルギーが出てくる。だから、続けていれば楽しめる時が来る。やめちゃったら終わり。やめたらやめたで色んな収穫があるけれど、続ければもっと楽しむことができるから、それは捨てることはないなと思ってね。

※アルベルト・シュヴァイツァー…アルザス人の医師、神学者、哲学者、オルガニスト、1952年にノーベル平和賞を受賞。

●最後に一言お願いいたします。
今回の個展では100号以上の巨大画布に描いた作品6点と、今まで描いてきた厳選の小作品を展示します。
見た方の、感じるままで結構です。見て頂けるだけで感謝です。
やっぱり見てくれる人がいるから、勉強になるんでね。
やっぱり作品を作るのは見てくれる人がいるからできるので、
人にいいよと言われるとすごく嬉しいし、ありがとうって気持ちになります。

大石正巳 プロフィール

1938年静岡県生まれ。都立高校教員を退職後、 2000年渡仏。パリにてデッサンを学ぶ。
’05年帰国し、町田市にてアトリエラ・セーヌ38絵画教室を 開設。現在に至る。隔年に個展開催。
無所属。現・日本美術家連盟会員。

パリコレッ!ギャラリー vol.21
大石正巳「感じるままに」

町田市にてアトリエラ・セーヌ38絵画教室を構える大石正巳による抽象絵画展を開催。100号以上もの画布に描かれた巨大絵画6点が壁を埋め尽くし、見応えある小作品や大ボリュームの作品ブックを展示する。「感じるままに」をテーマに、自由な表現で大石正巳氏の独特の色彩世界・抽象表現を楽しむことができる展示会。

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