まちだをふりかえる その1. 〜図書館・古書店・洋食屋〜

開催:2018年5月18日(金)

こんにちは。
いつも町田にいるキタムラです。

町田で知り合う方や馴染みの店が増えて、毎年恒例のイベントを楽しむようになってくると、この街のことを「もっと知りたい」と思うようになりました。
街並みの変化や、郷土史だけでは分からない、馴染みの場所や懐かしい思い出について伺う機会は少なくて、友達と「町田ってさぁ」なんて話し始めても、美味しいものの話をするだけで終わってしまいます。
記録に残るような変化が起きた時どんなことがあったんだろう?
記録に残らないような期間にはどんなことがあったんだろう?

最初の一歩として、長く町田の図書館や文学館に勤務されてきた守谷信二さんにお話を伺いました。

町田とのご縁の始まりは昭和50年からとのこと。僕の生まれる一年前です。
あきる野市出身ですが、市職員の採用試験がきっかけとなりました。当時は各市で秋に採用試験を行っていましたが、町田市は他市とは違う夏に行われたそうです。通勤時間も長いので難しいかなと思いながらも、試験の様子を知るために受けてみたところ無事採用。
町田での勤務が始まりました。

固定資産税課に7年。新築の住宅を一軒一軒回る日々が続きます。
当初は土地勘がなかったため、先輩とはぐれてしまうと、市役所に戻る道も分からず、市職員の制服を着ているので道をたずねるわけにもいかなくて…と笑いながら話してくださいました。
市内を歩き回る経験は、地域を知る上で貴重な経験となったそうです。

異動希望を出せるようになると「本が好きだから」と図書館への希望を出されました。
当時はまだ日曜開館も行われず、いまもある3台の移動図書館が活発に活動していた時代です。日野図書館の先進的な取組みを記した本との出会いから、図書館の役割に自覚的になったのだとか。

司書資格は、仕事と子育てと並行して通信教育で4年かけて取得。その努力がきっかけとなり、司書資格取得の支援制度が整い、職員が公費で司書講習に通い資格を取得できるようになりました。

さるびあ図書館(当時の本館)、木曽山崎図書館での勤務から、1990年の中央図書館の開館にも関わられたそうです。ホテルの中の図書館という当時には珍しい形態は、80年代の駅前の再開発がきっかけでした。
原町田駅が現在の町田駅の位置に移転する際には、小田急町田駅との空間も合わせた楕円形の経済域が構想されていました。その楕円形の、駅とは反対側の端にも町の拠点を設けるべく、東急ハンズの誘致や、図書館の開館が計画されたのだそうです。

図書館は、他市の職員との交流も多いとのこと。
日野市は市民のための図書館機能を重視していましたが、多摩地区の図書館長さんたちの館長会が、その活動への共感と実績を共有する機会となったのだそうです。

最後に「これからの時代の町田市は?」と質問したところ、様々な政策を踏まえたうえで「最近はどこの自治体も<にぎわいの創生>に必死で、もともとあるものに目を向けるより、木に竹を接いだようなイベントに偏りすぎているのではないか?」との問題提起を頂きました。
たしかに、街のことを知ろうとしないひとほど「これがあればいいのに、あれをやればいいのに」という話をすることが多いように感じます。「新しいものを作ればきっと盛り上がるよ」と。
今の町田にはすでに魅力的なお店やイベントがたくさんあります。あとはそれを知るきっかけだけが足りないのではないか?とお答えしたところ、守谷さんも同意してくださいました。

おまけで、僕好みの質問をしました。「さるびあ図書館に勤務されていた頃は、どんなお店へお昼ご飯を食べに行きましたか?」
図書館からまっすぐ今のシバヒロ・当時の市庁舎の方へと進んだ先に並んでいたカレー屋さんなどの飲食店、それから一本となりの道の洋食屋(「キッチンいまい」)にもよく通ったとのこと。「あそこは長く続いているね」とおっしゃいていました。

すぐに守谷さん好みの話題に移ります。
「あの洋食屋の近く、今の家庭裁判所のあるあたりには古書店があったね。りら書房って言ったかな。いろいろ掘り出し物みつけた。市庁舎の方にも一軒あったよ」
僕が部分的に伝え聞いて知るだけの街並みを、思い出としてありありと思い浮かべていらっしゃるのが伝わってきます。

かつては町田にもたくさんの小さな本屋さんがあったんだろうなと、また知りたいことが増えました。

図書館の話、特に日野市の事例について教えてくださる時には、当時の先進性への憧れを、今もそのまま抱いているかのように、夢中に話されていました。
1時間のお話の後、次の予定へと町に戻っていく後ろ姿に、長くその道で働いていらした方の情熱の大きさを感じました。

<文・写真:北村友宏>